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巧みな戦略ふざけた作詞に隠し/気取るのさ音楽史上一の歯口

RHYMESTER「COME ON!!!!!!!!」

 

                      ……得体のしれぬ無法者も、そのひそかな嘆きをぼくには打ち明けたものなのだが、それを理由にぼくは、なかなかの策士だと不当な非難を浴びることにもなった。

フィツジェラルド『グレート・ギャツビー』

 

 

MC松島の1stアルバム『hospes』が発売される。もちろん、彼は全くの新人であるというわけでは全くなく、すでにしっかりとしたキャリアを積んでいる。いや、しっかりしたというのでも足りない。なんと彼はすでにミニアルバム、EP、フリー・ミックステープを計20作以上(!)もリリースしているし、two people soup onというバンドでのEP『月曜日 23時』、彼が所属するクルーRefgeecampでのミックステープシリーズ『V.H.S』(特にその第一作はSD JUNKSTAのOJIBAHにも称賛された)やその1stアルバム『Raise The Flag』など、満を持したソロアルバムデビューというよりも、遅すぎると言ってもいいくらいだ。ただ、そのことはPUNPEEの例もあるように、そこまで珍しいことでもあるまい。特筆すべきなのは、すでに膨大な作品が発表され、私たちの手元に与えられているにも関わらず、いまだにMC松島とは何者なのか、彼は何を考えているのかと問わずにはいられないということなのだ。

彼の意図は?本気?ギャグ?

 MC松島の捉えがたさの一端は、おそらく彼の率直さ、素っ気なさにある。彼の名前を広く知らしめたのは、「B.M.K.D.(バトルMCは曲がださい)」だったろう。挑発的なタイトルに加えて、この曲はバトルMCの楽曲を集めたコンピ『SHINPEITA presents M.B.A~Mic Battle Association~vol.2』に収録されているのだから、なんとも人を食った振る舞いだと言うほかない。物議を醸したこの曲の他にも、みたらし団子を勝手に食べられたことを理由にヘタレビーボーイにビーフを仕掛けたりと、彼の言動は常に本気なのか、ジョークなのかが掴めない。笑っていいのだろうが、しかし彼は何も考えていないバカのようには見えず、その背後に仕掛けられているかもしれない戦略を読み解くことを求められているようにも思えてならない。MC松島の魅力であり、また厄介なところだろう。サウンドクラウドにアップされた「#PanicRoomJP」は、Moment「#FightclubJP」騒動へのアンサーで、曲中触れられるRHYMESTER宇多丸本人の耳にも届き、その先輩ラッパーを指して「ハゲ」と連呼しているにも関わらず「ものすごくクレバーな人だな」と言わしめた(https://miyearnzzlabo.com/archives/18637)。宇多丸は、この日本語ラップシーンで話題を呼んだラップゲームへの参加を挑発的に求められたことに対して、リスペクトを感じると言い、またその戦略性も見抜いていた。そして、彼は自身のラジオでMC松島を紹介することをアンサーとした。宇多丸がそうであったように、私たちは松島の言葉を、どのように受け取るべきなのか、常に戸惑う。彼の意図は?本気?ギャグ?彼の言葉は、コンスタティブ/パフォーマティブ(東浩紀『存在論的、郵便的』参照)の区別が付かない。とりあえず、MC松島の厄介さは、そのように位置づけることができる。

松島の楽曲の多くは

きわめて「複雑な内容」を持っている。

 確かに、松島が言う「ハゲ」や「バトルMCは曲がださい」といった身も蓋もない言葉は、率直であるがゆえに、その意味が捉えがたい。しかし、前掲のラジオで宇多丸は次のような重要な指摘をしている。「こんだけ複雑な内容をよくラップにするな!」という感嘆がそれであり、実際に松島の楽曲の多くはきわめて「複雑な内容」を持っている。この『hospes』でも、時にジグザグの思案を歌ったり、あるいは巧みなストーリーテリングの腕を披露したりしている。まして、そのように評する宇多丸当人もまさに「複雑な内容」のラップを得意とするラッパーであるのだから、松島の複雑さは折り紙つきだと言っていい(その意味で、彼を宇多丸やMETEORの系譜に置くことができるだろう)。では、彼の率直さと複雑さはどのような関係にあるのだろうか。試みに、RHYMESTER「K.U.F.U」、宇多丸の第3ヴァースを聞いてみよう。宇多丸は、「ウサギとカメ」の童話を引き合いに出し、その両者が実は「いずれにしたってダメ」であることを指摘していき、第1ヴァースでの人間の営為(K.U.F.U=Art)の肯定を下敷きにして、そのロジカルに積み重ねられたヴァースを「人間ナメんな!」という素晴らしいパンチラインに収斂させる。それと比べて松島の場合はどうか。アルバムのトラックリストを見てみれば、誤解の余地のないような言葉が並んでいる。「努力しない」「ラッパーはもてる」「I’m wack」等々。これまでの楽曲にも、「バトルMCは曲がださい」「ボズファンクラブきもい」などの例がある。しかし、これらのタイトルは、何か一つの筋道の通った思想を要約したものではなく、またそこから発展する主張に行き着くわけでもない。最も分かりやすい例は「バトルMCは曲がださい」だろう。この紋切り型をタイトルとして放り出した松島は、そのテーゼに賛成するわけでも、反対するわけでもない。彼は「複雑な内容」のヴァースを周囲に巡らせて、その単純なテーゼを吟味して見せる。バトルMCの楽曲は完成度が低いのは本当か、もし本当だとしたらなぜだろうか。あるいはその逆、音源アーティストのフリースタイルについてはどうなのか。このような複雑なリリックを聞かされた後の私たちは、はじめに与えられた「バトルMCは曲がださい」という言葉の意味が分からなくなる。あるいは、その言葉は自明性を失って宙吊りの状態に置かれることになるのだと言い換えてもよい。見事な紋切り型殺しである。これは、宇多丸がヴァースの最後で「人間ナメんな!」というパンチラインにそれまでの思考の全てを集約させたのとは反対の道筋であり、反=パンチラインとでも言い表わすべき手法である。彼のポリシーであるらしい「努力しない」は2曲目のタイトルともなっているが、試みに引用してみよう。

「努力しない」って言葉の本当の意味は俺のとこ来たときに教えてやる

と言いたいとこだがやっぱ今教える

メモれ コピれ make money

努力は必ず報われるってんなら報われないものは努力じゃない

つまり結果が全て まずは結果出せ

そしたら努力は終わってる

終わってるものなんて俺は知らん

むかしむかし めでたしめでたし

 詭弁だろうか。しかし、それは問題ではない。注目したいのは、「努力しない」というきわめて単純な一句が、一曲の最後にはその意味するところをまったくぼかされてしまうことだ。そして、そのままMC松島は「めでたしめでたし」と立ち去ってしまう。この反=パンチライン的な手法、戦略について、まず第一に、次のようなことを言いうる。ネットが暴走し、アメリカの大統領はいまや「ツイッターにずっといて、ヘイトをまき散らす」(Eminem「Like Home ft. Alicea Keys」、筆者訳)ような人物である。大衆が求めるのは、「複雑」である事実よりも、フェイク、ゴシップ、ヘイトといったもので、そのような言葉は書く方にも読む方にも思考を求めず、ゆえに短く印象的であることを旨とする(ネットニュースの見出しや煽り文、感情の垂れ流しなど)。投げられた餌に本能のままにすぐさま飛びつき、踊らされ、事態はますます悪化してゆく。このような時代にあって、松島の手法はきわめて有効な政治性を体現しているだろう。彼は、確かに釣り餌を放る。しかし、その後に続く「複雑な内容」を持ったヴァースが、釣りの一文が引き起こすであろう対立を脱臼させ、またその言葉の意味自体をも宙吊りにし、短絡な人々を立ち止まらせ、熟考に誘う。3曲目の「ビッグちんちん」のフックでは、「この世はでっかいBlack Box/被害者が美人だとニュースが喜ぶ」と歌われる。むろん、伊藤詩織氏への目配せである。しかし、この曲はそこから予想されるようなコンシャス・ラップではない。ここでも同様の手法で、松島は「ビッグちんちん」とは何なのかを曖昧なものにしたまま、曲を終えてしまう。「Big Pimpin’」のパロディなのか、何かの隠喩なのか等々。少なくとも、宇多丸が腐敗しきった「日本株式会社」を包茎の男根に喩えた(DJ OASIS「社会の窓」)のと比べれば、「ビッグちんちん」の解釈は困難なものとなっている。このような松島の手法は、ネットの反知性的なディスクールへの戦略的な抵抗の手立てとなると同時に、「Don’t believe the hype」や「Nigga, We gon’ be alright」、あるいは「#metoo」といったパンチラインによるのとも異なる道を示している。それは、ラップの(特に作詞法の)技術論的な面からも、また政治性の面からも貴重であることは疑いない。

MC松島はヒップホップなのか。

 しかし、この松島の手法が貴重だとして、それはヒップホップとどのように関わるのだろうか。多くのラッパーが一発で人々を惹き付けるようなパンチラインを吐こうと苦心するなか、むしろそれを骨抜きにしてしまうような複雑さに就くこと。また、ヒップホップにおいて、「keep it real」の精神が重要であるならば、簡単には「リアル」な本音を見せない松島は反=ヒップホップ的とさえ評しうるのではないか。例えば、「ラッパーはもてる」(ちなみにMETEORの「MOTEL」が引用されている)は、「ビッグちんちん」がコンシャス・ラップと括れないのと同じように、セルフ・ボーストではない。松島はヒップホップの決まり事を利用しながら、そこからずれてゆく。そこで持ち上がる疑問は、MC松島はヒップホップなのか、というものである。MC松島とは何者なのかという問いは、結局のところそこに行き着く。このアイロニストは、ヒップホップのことをどう思っているのだろうか。

彼のアイロニカルな攻撃性がヒップホップへと向けられるのが、7曲目「I’m wack」である。冒頭で「正統派とか継承者とか言われて覚える嫌悪感」とありきたりなライムをパロディして愚弄して見せ、「流行ってるやつ全部ダサい/韻踏む不良全部ダサい」と更にディスは激化する。「今褒められなくて当たり前/こんなクソみたいな時代wackな方がいいに決まってる」のだと、現在のヒップホップシーンと真っ向から対立し、フックでは「俺を恐れてるやつ/みんな口をそろえて言うギャグ/いい加減ギャグはどっちかな」という鋭い修辞疑問を投げつける。この曲のタイトルはD.Oの「I’m Back」を想起させるが、D.Oがかつて「みんな俺に大丈夫か?って聞くが/みんなは逆に大丈夫か?」と問うたのと同じように、松島も「いい加減ギャグはどっちかな」と問うている。業界の腐敗を暴露し、それは「まるでアイドルのうんちみたいに隠してるだけ」だと批判する松島が、「俺はうんちに堂々と値を付けて売り飛ばす」と言うときに考えていたのは、便器に「値を付けて売り飛ば」したマルセル・デュシャンであろうか。D.Oであれ、デュシャンであれ、ともかく松島はヒップホップ、日本語ラップに対して大きな疑問符を突き付けている。あるいは、続く8曲目「素人主義」で、基本的な知識や教養がなければオリジナリティを持ちえないという考えに対して、「何も知らないまま新しい古典に挑戦するってロマンだ/当たり前だ俺たち17の頃の坂本龍一より音楽分かってないんだぜ」と言う松島は、ソクラテス的なアイロニ―を体現しているようにも見える。

日本語ラップシーンにおける

異邦人であり、問いを発し、存在し、

歓待される権利を要求している

この「逆張り」(「I’m wack」)やアイロニー、反=ヒップホップ的な振る舞いは何を示しているのか。MC松島とは何者なのか、MC松島はヒップホップなのか。そこで、「hospes」というアルバムのタイトルとなっている言葉は示唆的である。「hospes」はラテン語で、主人、客、異邦人を意味し、英語のhostや、フランス語のhôteの語源となった言葉である。フランスの哲学者ジャック・デリダは、『歓待について』(原題はDe l'hospitalitéで、つまりhospesと類語である。実際に文中でも、バンヴェニストの語源の研究が参照される)で、「異邦人の問い〔異邦人を問うこと〕、それは異邦人の/異邦人からの問いではないでしょうか。異邦人からやって来た問いなのではないでしょうか」と切り出している。デリダは、プラトンの著作で異邦人=客人が問いを発すること、そして、その問いが往々にして主人の側を逆なでするようなものであることを指摘している。異邦人とは他所から来た者であり、「ほかの人と同じように話さない者、奇妙な言語を話す者」である。言いたいのは、つまり次のようなことだ。MC松島は、日本語ラップシーンにおける異邦人であり、異邦人として問いを発し、また異邦人として存在し、歓待される権利を要求している、と。彼が自らの本心を掴めなくするように戦略を立てるのは、おそらく異邦人であり続けるためなのだ。異邦人=客人は、自らの問いによって主人たちから「狂人」であると見なされるかもしれないことを予見しているのだが、松島がヒップホップをパロディする必要性もそこから導き出される。すでに見たように、ヒップホップの形式的なもろもろの決まり事やマナーを踏襲していながら、その意図するところやリリックの内容は、むしろ反=ヒップホップ的であることも多々ある。彼のパロディは、異邦人=客人として、ヒップホップシーン=主人との議論の卓上へ上がるための、礼節のようなものである。問題となるのは、このような客人を排除するのか、招き入れるのか、そしていかに歓待するべきか、ということであり、私たちは、MC松島がヒップホップなのか否かを問おうとするが、実はそのとき真に問われているのは歓待する側の私たちの方なのである。その機微をよく見抜いていたのは、彼の同級生であったSALUである。彼はこの1stアルバム発売にあたって、「これを聴いて何も感じなかったら、それはもう君が好きなのはHIPHOPじゃないのかもね」というコメントを寄せている。MC松島は異邦人=客人として、(閉鎖的、排他的と揶揄されることも多い)ヒップホップを、日本語ラップを根底から洗い直してみるように、私たちに要求しているのである。つまり、ヒップホップなのかどうかという単純で、対立をもたらすような問いの代わりに、松島は様々な、よりクリティカルな問いの数々を持ち込むのだ。いい加減ギャグはどっちかな?みんなはヒップホップに大丈夫かって聞くが、みんなは逆に大丈夫か?みんなはMC松島にヒップホップかって聞くが、みんなは逆にヒップホップか?等々。

 

 MC松島のクリティックは、おそらくこのようなものである。だがしかし、それは彼が徹頭徹尾アイロニカルなラッパーであることを意味しない。確かに、彼の言葉は、コンスタティブ/パフォーマティブの区別が付かず、捉えがたい。それは彼の戦略を支える原理ではある。例えば、「高いハードルはくぐれ/ハードル分からないやつはググれ」という一節に感心し、松島のパンチラインだと思っていたら、すでに他のラッパーの楽曲に同じ言葉があることが知られるような場合も、同様の原理に従っている。これはパクりなのか、被りなのか、はたまた引用なのか、あるいは引用に気が付かないままであることも多々あるだろう。また、引用であるとすればどのような意図をもって引用されているのか。これらは決定不可能である。ゆえに、Jinmenusagiが不愉快に感じることも全く正当であるし、あるいは外野の私たちがそこにリスペクトを読み取ることも自由である。そして、ヒップホップという音楽や文化の中心には、このような「散種」「誤配」の原理が据えられている。サンプリングや引用についてここであらためて復習する必要もあるまい。では、松島の誤配の手法は、人を戸惑わせるためにのみ用いられるのか。それはおそらく違う。

松島は「君の友達」という言葉の

誤配にこそすべてを賭けている。

 「君の友達」、彼はそう自称する。これは、「鼻息荒いシマウマ」「フダツキ」「新宿拡声器集団」「DR.K」「板橋の放蕩息子」などのようなラッパーたちが自称する別称や異名として、松島が繰り返し強調する決まり文句である。宇多丸=佐々木士郎はかつてヒップホップを「“一人称”の文化」だと指摘したが、それゆえ岩下朋世氏が言うようにラッパーの「自己紹介」は重要である(「『リアル』になる キャラクターとしてのラッパー」『ユリイカ 2016年6月号』)。だが、松島のこの別称の特異性は、その一人称性を強調する「自己紹介」の場に、「君の」という二人称を紛れ込ませ、自らを「君」=私たちに譲り渡す点にある(「my man=俺の友達」と「your friend=君の友達」の違いを考えてみてもよい)。「何回も言わせんな俺は君の友達/その道のトッププロだぜ」(「素人主義」)、「最近できた新しい友達が君に新しい意味を付ける」(「いまの君へ」)。宇多丸が一人称性を強調したのに対して、それと表裏をなしているヒップホップの二人称性を指摘したのは、「絶対的にHIP HOPであらねばならない」(『現代詩手帖』)の佐藤雄一であった。佐藤は、ヒップホップを「〈あなた〉を詩人にするリズム」であると言っている。ヒップホップの生成と連帯の可能性を、「あなた」という近しい呼びかけと、「リズム」に見出そうとする佐藤は、それが常に失敗=誤配の可能性に晒されていることも認めている。例えば、Jinmenusagiが松島に対して、「僕は『君の友達』ではない」とツイートすることができるように。しかし、松島は「君の友達」という言葉の誤配にこそすべてを賭けている。時にそれは皮肉に聞こえるかもしれないし、あるいは安堵をもたらすかもしれない。またはその言葉自体が彼の独創ではなく、Carole Kingの名曲「君の友達(You’ve Got A Friend)」や、あるいは他の作品からの引用またはパクリであるのかもしれない。ヒップホップシーンがその呼びかけを無視したり、排除したりするかもしれないし、反対に予期しえぬ人が松島のラップに触れてヒップホップにはまってしまうかもしれない。そのような揺れに耐えて、「パーティー」(「素人主義」)への招待状を発送し続けることこそが、MC松島の異邦人としてのヒップホップであるように思える。唯一、アイロニカルに響かない言葉、失敗の可能性を知悉していながら、松島が真っ直ぐに届いて欲しいと願っているように思える言葉が、「君の友達」である。その原理的な曖昧さ、決定不可能性、裏切りの可能性を真摯に引き受ける点において、彼は根源的に、そして正直にヒップホップと向き合っている。だから、MC松島はヒップホップなのである。いまや、疑いなくそう言える。

では、最後の問いに移ろう。はたして、君はMC松島の友達になるのか。それはこのアルバムを聞いてから、私たちが決めることだろう。再生ボタンを押す。Jazadocumentの温かいビートが鳴り、待ち構えていたように歌い出す。

MC松島 a.k.a.松ちゃん 君の友達

俺たちは最高 どんなことがあっても

それだけは絶対に忘れるなよ

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